報道は果たして真実を伝えているのだろうか
例えば、騒音おばさん、一時期話題になって有罪ということで幕を閉じたが、今になって本当は被害者側が熱心な創価学会員で、執拗な勧誘を繰り返していたというのが真実らしいのに、そのことについては一切触れられていない。というか、報道すると与党を敵に回すことになり、報道局側にもいいことはないからだ。それを知ると、逆におばさんがかわいそうに思えてきた。
先日の麻生総理と大学生が居酒屋で飲み交わすニュースも、実は裏にしきり役がいて台本通りに行われた芝居に近いものだったようだ。実際、大学生は某有名大学の自民党を応援する学生の会とかいう面々なのだそうだが、それにかり出された中に自分の知り合いの娘さんがいて、怒っていたそうだ。
裁判についても、裁判官が本当に正義の味方かどうかわからない。ただはっきりしているのは、弁護士は正義の味方ではなく、クライアントの味方だということだ。どんなに悪いことをしている被告でも、それを弁護するのが弁護士の仕事だから、それはしょうがない。ただ、検事や裁判官はそれではいけないだろう。真実を法律に照らし合わせて判断し、判決を下すということが必要なはずだ。裁判員制度も重要裁判だけでなく、ザ・スクープで報道されていたようなバスの運転手と白バイの事故のような事案にも被告が望むことで裁判員制度の裁判を実施できるようにならないものか。
案外、「それでもボクはやっていない」の映画は心を突いているのかも知れない。